源平藤橘や物部、大伴と呼ばれる氏族の権力が全盛期であった頃、何千という名字が生まれ、その後次第に家紋が用いられ始める。家紋が生まれて間もない鎌倉時代や平安時代は江戸時代の元禄頃とは違い、家紋の種類や形は多くはなかった。そのため、美しく人気のある家紋や描きやすい単純な図案の家紋ほど好まれる傾向にあり、同名字であっても異なる家紋を利用しているケースもあれば、異名字であっても同じ家紋を利用していることがあった。
同じ氏族の中で比較的多く使われている家紋は代表紋(だいひょうもん)、または表紋(おもてもん)といい、その氏族の代表的な家紋として扱われていた。例えば、藤原氏から分かれた長家や那須といった支流では、一番使用されている家紋の「一文字紋」を代表紋としている。また、当時の武士の間では同名字でも複数の異なる家紋を使用することが一般的であったため、公式に示すための正式な家紋が必要とされた。そういった各個人が決まって用いる家紋のことを定紋(じょうもん)または「本紋」や「正紋」という。基本的に、諸大名や将軍家では定紋を嫡子だけにしか継がせなかったため、また時代とともに一家系で持ちうる替紋(後述)の数が増えるに連れて、定紋の権威や価値や必要性は強まっていった。
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前述の通り、幾つもの異なる家紋を用いることが一般的であった。また後述しているが、家同士での家紋のやりとりが頻繁にあり、家紋を自由に創作することがあった。そのため、本来の家紋の意味を逸脱した家紋を多く持っている家もあった。そのため本来の家を示す公式的な家紋である定紋以外の家紋は「替紋(たいもん)」と呼ばれた。