近代以降、中国史を専攻する学者たちは、マルクスにより押された、「アジア的停滞」の烙印を何とかして剥がそうと試みた。
そのさきがけとなったのが郭沫若である。郭沫若はその著書『中国古代社会史研究』の中に於いて中国史に発展段階論を適用し、西周を奴隷制の時代とし、春秋時代以降を封建制とした。これに対して呂振羽は殷を奴隷制、周代を封建制の社会だとして反論し、この論争は結論を見ないままに終わることになる。
これに対して日本では内藤湖南により魏晋南北朝時代・隋唐時代を封建制の時代とすべきと言う論が出された(唐宋変革論)。これに対して唐末期から五代十国時代を奴隷制から封建制へ切り替わりと捉える前田直典の論が出され、戦前から1970年代に渡って激しい論争が繰り広げられた。
これらの論の基準となる所は封建制の特徴とされる農奴の存在である。魏晋南北朝時代を封建制と捉える立場からは後漢の豪族たちによって使われていた小作農たちを奴隷とみなし、後漢の滅亡によりそれが変化したと見る。宋以後を封建制と見る立場からは均田制の下におかれた農民たちを奴隷とみなし、宋に入って登場した佃戸制を農奴とみなす。
長い論争が繰り広げられたが、結局明確な結論は出ないまま論争は下火になり、現在ではほとんど行われていない。理由はいろいろ考えられるが、最も大きな理由はマルクス主義の魅力が薄れ、中国史に発展段階論を当てはめることの意義を疑い始めたからであろう。また、マルクス主義の立場をとる研究者からも、在地の地主に裁判権などの権力が備わっておらず、それらが国家権力の手に集中されており、封建制の重要な内容である領主権力が存在しないため、中国史における封建制概念を否定する見解が出された。封建制に代わる、中国史上の経済制度を特徴づける概念や歴史像はいまだ構築されていないが、最近では階級構造を描き出そうとする従来の方法に代わって、地域社会の中における地主の役割に注目した研究がなされている。
中国王朝でおこなわれた封建制は君主が貴族に領域支配を名目的に認める制度。同時に封建された貴族は君主の名目的な支配下に入る。西洋の法的な封建制度であるレーエン制とは異なり、軍事奉仕を期待するものではなく、一定の領地と観念的に結びついた爵位が授与されるが、それが土地支配権を伴うとは限らない。したがって血縁的な関係の延長上に形成されたとする見方もある。
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殷代からすでに封建がおこなわれてたという指摘がされているが、殷代封建制については詳しいことはわからない。殷代には封建された国とは別に方国という国が存在しており、これらを外様あるいは異民族の国とする説がある。殷を方国の連盟の盟主と見る場合、封建された国はより殷の支配の強い国々であったと考えられ、したがって殷代には同族や直接支配下にあった部族の有力者が封建されたと考えられる。殷代の封建された土地について地名を特定しようという研究が続いており、さまざまな説が唱えられているがはっきりしたことはわからない。
周の時代には中国的な封建制度は活期を迎えたと考えられており、各地に邑を基盤とした血族共同体が広汎に現れ、周はこれらと実際に血縁関係をむすんだり、封建的な関係をむすぶことによって擬制的に血縁関係をつくりだし、支配下に置いたと考えられている。長子相続を根幹とした血族共同体を基礎としたこの関係を宗族制度といい、宗族制度と封建制度が密接に関係していたであろうことは概ね認められている。しかし、邑制国家の実態および宗族制度がいつごろ一般的となったかについては定説がない。
このような周の封建制度を西洋的なフューダリズムと比較することはよくおこなわれる。たとえばマルクス主義的な発展段階論においては周代中国を奴隷社会であるか古代荘園社会であるかが論争となったが、これは周代におこなわれたという井田制の解釈と密接に関連しており、実在を疑う向きさえある井田制の性格があまりはっきりしない以上決着をつけることは容易でない。