正之は熱烈な朱子学の徒であり、それに基づく政治を行った。身分制度の固定化を確立し、幕藩体制の維持強化に努めた。山崎闇斎に強く影響を受け、神儒一致を唱えた。
また、熱烈な朱子学徒であったため、他の学問を弾圧した。岡山藩主・池田光政は陽明学者である熊沢蕃山を招聘していたが藩政への積極的な参画を避けた。加賀藩主・前田綱紀が朱子学以外の書物も収集していたことに苦言を呈していた。また、儒学者の山鹿素行は朱子学を批判したために赤穂藩に配流された。
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実父:徳川秀忠
実母:於静(「志津」とも。神尾栄嘉女。浄光院)
養父:保科正光
正室:内藤政長の娘・菊姫
長男:幸松(夭折)
継室:藤木弘之の娘・於万(かつては、正之の異母姉・東福門院に仕えていた)
次男:保科正頼
長女:媛姫(上杉綱勝正室)
次女:中(夭折)
三男:将監(夭折)
四男:保科正経
五女:石(稲葉正往正室)
六女:風(夭折)
七女:亀(夭折)
五男:保科正純
側室:牛田氏
三女:菊(早世)
四女:摩須(前田綱紀正室)
側室:沖氏
六男:松平正容
側室:沢井氏
長女・媛姫は上杉家に嫁したのち、実母・於万の方による4女・摩須毒殺未遂事件で、誤って毒を飲んで急死した。於万の方は、側室の産んだ摩須が自分の産んだ媛姫の嫁ぎ先より大藩の前田家に嫁ぐのが許せず、暗殺を謀ったらしい。事件後、媛姫は上杉家菩提所である林泉寺に葬られた。正之は於万の方を遠ざけ、後の上杉家の綱勝急死の際の末期養子に関して援助している。
この事件のために、晩年の正之は女性不信に陥っており、会津家家訓の第4条には、婦女子についても記載されている。
なお、摩須は無事に前田家に嫁した(しかし綱紀の子を産むことはなかった)。